2007年3月22日
インドネシアに行ってきました

ながらくご無沙汰しておりました。

インドネシア津波地震2年後の調査のため

じつは先週インドネシアに行っておりましたが、帰りの飛行機が大変だったのです。

バンダアチェからジャカルタまでの飛行機が3時間も遅れたんです。

その後わたしたちはシンガポールに向けてシンガポール航空(SQ)に乗らないといけなかったのですが搭乗時刻(SQは40分前)4分遅れたせいで乗せてもらえませんでした。

どうやら私たちが遅れるって事をバンダアチェからきちんと伝えられていなかったようです。それにしてもSQもケチです。たった4分の遅れですよ。

遅れたはガルーダインドネシア航空のせいですからさんざん交渉したのですがなかなか非を認めないのですよ。外国での交渉はとてもエネルギーを費やします。

でも2時間かけての必死の思いが通じて何とかその日の夜中の便で戻ってきました。ついたのは関空でなく成田でしたが日本の地を踏んだとき泣きそうになりました。

バンダアチェ滞在中も私たちの乗ったガルーダの189便が器械不良だと現地の新聞に載っていたり(デモ結局帰りも189便だった)、ANAの胴体着陸のニュースが入ったり航空事情に不安が大きい今日この頃ですから日本の土を踏むまで心配でした。

と、飛行機のことはここまでにして・・・

わたしがみた被災2年後のバンダアチェは、活気を取り戻していて人々のたくましさにこちらも元気をもらってきた面もたくさんありました。しかし復興から取り残された人と場所があったのも事実です。災害は格差を生みます。2年経ついままだ職を見つけられないことでうつになっていたり近親者の死から立ち直れない人々も居ました。

一日の稼ぎが日本円で50円くらいという漁業をしている人がいたのですが一家で使う安全な水を買うのに一日50円いると言っていました。

日本の豊かさに甘えている自分が居るなあとも思います。現地でいろんな方々にお話を聞くことができこれまでの価値観も揺り動かされる体験もたくさんしてきました。


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