2007年7月9日
先日、まちの保健室で出会った人

わたしは、仕事の一つとして自分の研究所で「まちの保健室」という活動をしています。

あんまりこのブログでこの活動のお話しをしたことはなかったのですが結構私の仕事のなかでもこれに関する研究や活動には多くの時間を割いています。

きょうは、先週金曜日に相談に来られた人に元気をもらいましたのでそのお話ししようと思います。

きょうは、じつは災害看護のエキスパートのK・Yさんの講義を受けさせていただいたんです。これは大学院生への講義だったのですが私も関係者として特別にお話しを聞かせて頂きました。

この方は阪神・淡路大震災からその後の災害被災地や避難所の看護ボランティア活動をされてきている第一人者で、これまでの貴重な経験や役立つお話し満載で2時間があっという間に過ぎました。(このようなお話を学生に混じり聞けたわたしはラッキーでした)

そういうお話を聞いたせいか、金曜日にまちの保健室に来られた方のお話を思い出し、書きたくなりました。

金曜日に来られた女性も阪神・淡路大震災の被災者で、会社が被災し被災当日から寝るまもなく混乱を片づけながら働いているうちに過労がたまり、腎機能が落ち透析が必要と言われ尿毒症寸前にまでなったそうです。被災地であるこの地で被災された当時のご苦労を直にお聞きし本当に胸が熱くなりました。

1995年1月17日5時56分、私自身は大阪で震度5程度を体験しましたが被害には遭いませんでした。(頭の横にブロンズ像が落ちてきましたが)

この方は、自宅は残ったものの被災した会社の後かたづけや混乱に巻き込まれることになりそれはそれは眠る間もない激務だったそうです。それまで健康できたはずの自分が一変して病者になるという体験をされたのです。

でもその方は蘇られたんです。そこが先日聞いた感動の物語で、生活を一変し、自分の管理や生活習慣を振り返り、気遣っていくうちに徐々に腎機能が回復しだしたんですって。

透析は免れたけれども無理をしてはいけないからと、いまでも規則正しく無理しない生活をずっと守っているそうです。食事内容や食事の仕方に気を配り歩く・ストレッチなど運動習慣は毎日欠かさず行っているそうです。

でもまだ健常者という意識はないらしく、油断してはいけないと言う気持ちは一生持ち続けるそうです。

私の書き方がわるくてあんまり臨場感は伝わらずこれがただのサクセスストーリーのように聞こえるかも知れないのですが、わたしのように多くの方の健康相談に応じていると、生活習慣を変えることやそれを維持することの難しさを実感できるのでこの方の努力がよくわかるのです。

だってこの世の中、おいしいものにあふれていますし、ぐうたらな生活が楽に決まっていますよね。自分を律することはとても難しいものです。

ですからこの方のご苦労や努力はなんだかメタボリックシンドロームに対する健康指導をしている私にとって患者さんの鏡のようにおもったのです。

一つ克服すると、なんだか世の中も明るくなったそうです。前向きにいろいろやってみようと思っているそうです。無理せずですが。

普段、地味に研究や教育ばかりしていると住民の方々のお話を聞いて健康相談する「まちの保健室」は実は楽しいんです。自分でも毎回楽しみにしています。いろいろな人生を生きている人の貴重なお話しが聞けるのもこんなお仕事をしている醍醐味ですね。


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