2011年3月30日
被災地 宮城に行ってきました

3月18日夕方から23日まで兵庫県看護協会として被災地である宮城県に入り、避難所での看護ケアと医療班として診療の補助を行ってきました。

仙台市の避難所と石巻の合計5か所の避難所に入りました。

出会った方々の中にはリウマチの方々もおられました。

出会った人々は家も薬もすべて流された方たちばかりで、投薬状況の心配がありましたが、災害後すぐになんとかしてやってきた診療班や近所の病院に自力で行って数日分のお薬はもらっている人々がほとんどでした。そして私が出向いたタイミングとしてはその薬がまた切れそうな状況でした。

リウマチ薬の中で切れると困るのはプレドニンですが、投薬中止はできないので通常飲んでいる半分量にして乗り切ってきた人たちにも出会いました。すぐにすべてのかたの投薬内容を聞いて次の医療班につなぎ薬を持ってきてもらいました。

生物学的製剤を服薬している人には出会いませんでした。

最初に行った避難所では私は新たに100人の避難住民を受け入れるタイミングで居たのですが、糖尿病で高血糖なひとや血圧が異常に高い人、心筋梗塞や狭心症など心臓病が既往にあり予断を許せない人などの健康状態が優先され、関節リウマチや膠原病の人たちは静かに耐えているという状況でした。

わたしはリウマチの方々は見分けがつくので傍に寄り、「痛みはないですか?避難所での寝泊りは大丈夫ですか?」と聞いて回りました。皆、「自分よりもっと大変な人がいるからわたしは大丈夫」といってで耐えておられました。

阪神淡路大震災以降、避難所で暮らすのが困難な人は早めに福祉避難所に移送されるようになっているのですが、今回のこのような未曽有の大災害では、その福祉避難所すらまだ設置されていない状況でした。

とりあえずもう少し落ち着いたら福祉避難所は設置されていくので、もしここでの生活がつらいなら必ず避難所運営者(行政の方や自治会の方)に申し出るようにと伝えて避難所を後にしました。

今回、わたしが行ったどの避難所にも言えることですが、他からの支援は期待できないし行政自体も被災しているために、避難者自らが立ち上がりリーダーを決めて運営し、医療の側面では被災した看護師や医療職が自らがグループを作り、被災者のケアに当たっていました。

これからは一般住民といえども簡単な看護や介護の方法を身につけることや自助共助について学んで平常時からいろいろな人と連携しておくことの大切さを身にしみて感じました。

 

 


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